妊娠してボロ雑巾みたいに男に捨てられたシングルマザーが、ライブチャットで時間もお金も自由になった物語-PROFILE

妊娠してボロ雑巾みたいに男に捨てられたシングルマザーが、
ライブチャット代理店で時間もお金も自由になった物語-PROFILE

れいかって何者?

初めまして、れいかです。

まずはこのページを見てくださりありがとう
ございます!

きっとあなたがこのサイトに辿り着いて
くれたのは、かつの私がそうだったように

「ライブチャット代理店で成功して
時間的も、経済的にも自由になりたい」

「パッとしない今の人生をライブチャットの
代理店で一発逆転させてたい!」

そんな想いがあったからではないでしょうか?

現在私は、あなたのような想いを強く抱く方に
「ルームを持たずにライブチャット代理店
を運営する方法」を教えるコンサルタント
をしています。

また、同時に自分のライブチャット代理店
運営も並行して運営しています。

去年の売り上げは、4500万円を超えました。
どちらのビジネスも仕組み化していますので
自分の実働はほぼ無いです。

今では、好きな時に仕事をして、
三人いる子供達と好きな場所に旅行に行ける
生活を楽しんでいます。

最近では、奄美大島、屋久島、福岡の
糸島に旅行してきました!

<奄美大島家族旅行>

<屋久島一人旅〜憧れだったホテルサンカラに宿泊^^名物ガイドさんと記念撮影♡>

<糸島家族旅行>

ですが、最初から私がこんなに自由な
生活が出来たかというと、全くそんな事は
ありません。。

むしろ、ライブチャットに出会うまでは、
平凡以下も以下、お金も男運も無いボロボロの
シングルマザーだったのです。。

ですが、タイトルにあるように、
シングルマザーだった時に、
当時付き合っていた彼との間に
子供が出来たのがきっかけで
ライブチャットの
仕事に飛び込みました。

その時は

「お腹の中の子供を諦めたくない」

ただその必死な気持ちだけで、
チャットレディを
スタートしました。

簡単なプロフィールを。
他に知りたい事があったらコメント欄で
聞いてください。

れいか、昭和50年生まれ、神奈川県出身、
子供3人と夫と家族5人暮らし

新卒でCA→事務OL→事務OLつまらなさ過ぎて
シンガポールで単身働く→日本帰国後、社交ダンスドレスの
オンラインショップ運営

→大手IT起業で正社員11年→
チャットレディを副業としてスタート

→ライブチャット代理店起業→在宅ライブチャット代理店へ移行
→在宅ライブチャット代理店起業講座スタート

趣味:ビジネス(仕事との区分けあまりないです。。)
ヨガ、日本の離島巡り(奄美大島、屋久島最高です!)

好きなもの:赤ちゃん、焼肉、お寿司
佐藤竹善(ファンクラブ入ってます笑)
鈴木亮平(変態仮面、俺物語が最高笑)

妊娠して男に捨てられ、ボロボロになった
私の過去、そして心の内をさらけだすのは
正直怖い気持ちもあります。

ですが、どんな想いで
代理店を運営して
いるのかをあなたに伝えたくて
このプロフィールを書きました。

かなり長いので、私がどうして
チャットレディという仕事を
選んだのか、また代理店運営に
至る経緯から知りたい方は、

30才でシンガポールから
日本へ帰国
結婚3年目で
泥沼離婚へ転落…

から読んで頂くのをお勧めします。

Contents

誰よりも負けず嫌いだった
学生時代

小・中学時代は、とにかく負けず
嫌いで、勉強もスポーツも一番では
ないと気が済まない勝ち気な子供
でした。

「勉強が好き」というよりは、
1番になりたいから、常に頑張って
いたように思います。

地元の小・中学校を卒業後、念願叶って
全国で最難関と言われる
東京の女子高に進みました。

受験勉強も死ぬほど頑張ったので(笑)
合格した時は本当に嬉しかったですね。

何事も努力した方向に物事は進み、
順風満帆という感じでした。

付属の大学へ100%上がれる
エスカレーター式のの女子高だったので、
そのまま、大学へ進みました。

人数もそこまで多くなく、
共学の高校の延長のような大学時代は、
たくさんの友達と遊びに遊び、本当に
楽しかったです。

大卒で子供の頃から夢だったCAに
なるも、病気で泣く泣く退社…。

大学卒業後は小さい時からの夢だった
CAになる事が出来ました。

同期も華やかな女性ばかりで
まさに将来に夢ばかりしかない
時代でしたね。

最初は国内線からの研修フライトが
始まり、千歳、新大阪、福岡、
沖縄へと飛び始めましたが、
段々と食べ物を食べる度に
気持ちが悪くなるように
なったのです。

いろいろな薬や民間療法を
試してみましたが、一向に
良くならず、

最後には、
とにかく常に気持ちが悪いという
状況になり、食べ物を食べると
胃に激痛が走り、そのまま
うずくまるほどの酷い症状に
苦しむようになりました。。

心療内科を受診したところ
「自立神経失調症」と
医者に言われ、精神薬を
処方されました。

藁をも掴む思いで
その薬を言われた通りに
飲んで見たのですが、
副作用が強く出てしまい、

目の焦点まで合わなくなって
しまうという最悪の事態に
陥ったのです。。

もちろん、フライトは上司から
ストップが出たので
そのまま休職、自宅療養を
する事になりました。

 

なんとかCAに戻りたいと
病気の辛い症状に苦しむ中、
さまざまな治療法を試みましたが、
一向に病状は良くなりません。

あまりにも病状と、
今の自分の状況が辛くて、
「このまま死にたい」
と何度も思いました。。

気持ちばかりが焦る中、
とうとう会社から、
「1年以上は待てない」と
連絡が来てしまったのです。

なんとか復職しようと
航空会社の事務所への
通勤からスタートして
みたものの、

電車に乗るだけで
吐き気に襲われてしまい、
もうとても復職は無理だと
悟りました。

あれほど憧れていた仕事を
退職する、という事は、
私にとって、

「自分の人生が終わってしまう」

のとイコールでした。。

退職願いを出す事だけは
避けたいと思い、なんとか
病状を治そうと頑張って
来ましたが、願いは叶わず。。
会社にこれ以上迷惑を
かける事は出来ず、
CAを泣く泣く退職しました…。

20代半ば…
病気を抱えたまま
絶望的なOL時代を過ごす

CAを退職してみたものの、
病気の症状が残っただけで、

もう私には何もない、
ただの病人でした…。

しばらくは廃人のように
朝から晩までボーッと
過ごしていたのですが、

きっと内心は心底心配
していたであろう母が、

「家にお給料を入れない
なら出て行って。
リハビリだと思って、
働きなさい。」

と私に、「どこでもいいから
働け」と言ってきたのです。

その時は
「絶対無理…。」
と、途方にくれたのもの、

信頼して通院していた
心療内科の先生からも

「症状が治ってから何かを
しようと思わないで、症状があって
も出来る事を少しずつしてみて
ください。」

とアドバイスをもらっていたのも
あり、

このまま家にいたら、本当に
ただ無駄に人生を過ごしすのは
もう終わりにしようとなんとか
気を取り直し始めました。

そして、病気を隠して、再び
就職活動を始めてみる事に
しました。

CAは、航空性中耳炎で辞めた
という事で履歴書はごまかし、

家からそんなに遠くない
半導体の商社の面接を受けた
ところすぐに採用してもらえました。

今までは家の中で一人ぼっち、
朝から晩まで病気の事ばかり
考えていた毎日から、普通のOL
として、働けるようになんとか
なる事が出来ました。

やはり通勤電車に乗る時は
気持ち悪くなるのではないかと
すごく怖かったですが、

心療内科の先生がくれた、
副作用がなく、妊婦さんでも
服用出来るという薬を持参する
事で、なんとか乗り切れました。

綺麗なオフィスで、また同僚も
出来て働けるようになった事は
とても嬉しかったですが、

仕事に慣れるにつれて、
OLの事務仕事って、なんて
つまらないんだろう…

という気持ちを日に日に
感じるようになって
しまいました。。

CA時代は、いろんな場所へ
フライト出来て、ステイ先で
同期とお美味しい物を食べ、
あんなに楽しかったのに…。

と、やはりCAだった自分と
比較してしまい、辛くなって
しまうのです。

CA時代は、羽田のCAが
集まる場所に出社すると、
大きな窓からかっこいいジャンボが
目に飛び込んでめちゃくちゃ
テンションが上がりました。

ですが、この商社のオフィスでは
簡素なフロアにPCがずらっと
並んでいるだけ…。

来る日も来る日も、
受注先から来る伝票をただただ
PCで打ち込む作業が
段々と耐えられなくなって
いきました。

そして、その商社で働き初めて
2年が経過して気がついて
見れば、病状も少し
落ち着いてきていました。

また、それと同時に、
何か他に本当に自分が
やりたいと思うことを見つけ
たいと思う気持ちが日に日に
強くなっていったのです。

20代後半–
単身で働いた
華のシンガポール時代

CAを辞めてから3年が
経過して、
あれだけ苦しかった病状も、
ようやく日常生活は送れる程度には
回復している事に気付きました。

近所に出来た社交ダンスの
教室に通ったり、若い世代が
集まる社交ダンスサークルに
所属したりと、病気を気にせずに
出来る事も多くなって来たのです。

そこでムクムクと頭をもたげて
来たのが、

「もう私も20代も半ば…。
結婚前に、本当にやりたい事に
挑戦したい。。

そうだ、ずっと憧れていた
海外での生活を実現したい!」

という想いでした。

それからは、日本人女性が
単身海外で働くには
どうすれば良いか、
などをネットで調べ、

実際に赤坂にある、海外の会社の
求人を紹介してくれる人材派遣会社
へ面接を申し込んでみました。

そして、その当時は、
海外でもシンガポールが、
大卒の日本人ならすぐに採用して
くれる会社がたくさんある事、

VISAも取りやすく、
生活も安全で、英語圏である事、

が分かり、思い切ってシンガポールに
単身で働きに行ってみようと決意
したのです。

幸い、シンガポールの日本語ラジオ
放送を運営している会社の営業として
採用してもらう事が出来たので、
本当に、シンガポールに渡る事に
なりました。

シンガポールでの生活がスタートする
事には、心配や不安もありましたが、

学生時代に一度観光に行った際に
その開放的で、美しいシンガポール
の景観に魅了されていたので、

ワクワクする気持ちの方が強かった
ですね。

実際、シンガポールでの生活は、
多種多様な人種の友人等と、
毎日交流が出来る
夢のように素晴らしい毎日でした。

あっという間に英語も上達して、
気がつけば、日本語と同じ位流暢に
話す事が出来るようになっていたのには、
自分でも驚きました。

プライベートでは、
シンガポール人の可愛い女の子と
素敵なフラットをルームシェアして
いたので、まるでSEX AND THE CITY
ばりに、毎日恋愛相談で盛り上がりましたね。

シンガポール人の彼と付き合ったり、
駐在に来ているアメリカ人や、
フランス人などの欧米の友達も出来て、

駐在員の友達の高層マンションで
毎日国際パーティーをしている
ような、今考えてみれば夢のように
華やかな生活を送っていました。

仕事も営業という仕事が合って
いたようで、毎日沢山のお客様に
良くして頂き、本当に充実した
毎日を送る事が出来ました。

29才–
オンライン社交ダンス
ドレス屋さん起業

(当時作成した社交ダンスドレス屋さんサイト、
リアル画像です笑。
当時はこんなに素人感満載のサイトでも
オーダーが来ました。)

シンガポールでの
楽しい生活も気がつけば
3年が過ぎ、
私も29歳になっていました。

シンガポールで単身で
働いている独身女性は
私だけではなく、

親しい日本人の女友達も沢山
いたのですが、やはり
海外で独身で働いていると
常に気になるのが

「30歳までに結婚の壁」

です。

そこには3つの選択肢があります。

1.30才までに、シンガポールで
知り合った独身の駐在員と
結婚するか?

2.それともシンガポール人と
結婚して現地妻になるか?

3.現地で結婚が難しいなら
日本に帰国して、日本人男性と
結婚する。

今思えば、せっかく
華の独身を海外で過ごして
いるのですから、また別の国
に移住して3年くらい自由な
時間を満喫すれば
良かったのになぁ…。と思います笑

ですが、海外に住んでいるとはいえ、
当時はまだまだ結婚を夢見る
典型的な日本人女性だったんですね。

そして、上の3つの選択肢の中で、
私が何を選んだかというと…。

当時私は、シンガポール人の彼に
ふられたばかりでしたし、
数少ない独身の駐在員の男性と
これから知り合って結婚する…。

という可能性は、かなり低いと
思われました。

なので、かなり悩んではみたものの
3.の日本に帰国するという、
選択肢を選ばざるをえませんでした。

ですが、日本に帰国となると、
今度は問題になってくるのが、
「就職」です。

シンガポールで開放的な生活を
3年も送っていたのに、
今さら30才になってから
日本企業に就職活動をして、
満員電車で通勤する…
と言う気持ちにもなれませんでした。

そこで新たに考えたのが、
自分自身で「起業」する
という選択肢でした。

無謀にも思えましたが、
ずっと、自分が趣味で
やっていた、社交ダンスのドレスを
シンガポールで安く作れたら
絶対にうまくいくはず!という
想いあり、チャレンジしたいと
思っていました。

というのも、私がシンガポールに
渡る前に、日本で習っていた
社交ダンスでは発表会や競技に
出るそのドレスが、20万円〜60万円も
するで自分がとても苦労したからです。

シンガポールで安く作ってくれる
縫子さんを探し、

日本で社交ダンスドレスを
オーダーメイドで作りたい、
というお客様を繋ぐ事が出来れば
絶対に需要があるはずだと思っていました。

一旦考え始めると、めちゃくちゃ
ワクワクしてきて、すぐにでも
行動を起こしたくなって来たのです!

そこで、シンガポールで、聞きづてで
縫子さんを探し、また会社のホームページ
作成担当の人にその作り方を教えて貰い、

見様見真似で、オンラインの
社交ダンスドレス屋さんを作って
みる事にしたのです。

会社から帰ってくると、
すぐに自宅のパソコンに向かいました。

シンガポールの紀伊國屋で買った、
「初めてのホームページ作成」
という本を片手に、必死でオンラインの
ドレス屋さんのホームページを毎日
毎日作りました。

人間必死になれば何とかなるもので、
三ヶ月位でそれなりに見栄えのする
素敵なホームページを作成する事が
出来たのです。

そしてコツコツとそのオンライン
ドレス屋さんへのアクセスを集め
始めると、お客様からの問い合わせが
舞い込み始めました!

本当にこの時は、
全てが初めての経験でしたが、
自分で商売を興し、そしてお客様から
注文を頂く事が出来たという結果に
飛び上がるほど嬉しかったです。

初めての注文で作ったドレスは、
アパレルに関してはど素人の私が
縫子さんと試行錯誤を重ねて作った
ので、最初はお客様からクレームも
あったりで本当に苦労しました…。

ですが、何着もオーダーをこなして
いく中で、私もシンガポール人の縫子
さんもドレス作りのコツも覚え、
それなりにクオリティの高いドレスを
作れるようになってきたのです。

今までの会社勤めでは得られなかった
充実感に体が震えるほど、
「ビジネスってこんなに楽しいんだ」
思いました。
初めて、自分の存在意義を
感じられたのが
このドレス屋さんの
起業だったと思います。

段々と、ドレスの問い合わせも増え
始め、日本ではははにお客様の対応を
任せていたのですが、「母一人では手一杯
だから一緒にやった方がいい」という
方向になりました。
いよいよ、最初に考えた、自分が
起業したビジネスで、帰国するという
目的を達成する事が出来ました。

30才でシンガポールから
日本へ帰国
結婚3年目で泥沼離婚へ転落…

日本へ帰国してから、オンラインのドレス屋さん
を運営しながら、友人が誘ってくれる合コンに
沢山行きました笑

ですが、なかなか結婚に結びつくような
ご縁には出会えず、日本に帰国しても
なかなかうまく行かない
ものだな…と悩んでいました。

そんな時、友人に誘われて
参加した、ネット起業家対象の
ビジネスセミナーに参加してみる事に
しました。

そこで講師をしていたのが、
私の夫になる人物でした。

セミナー後に、仕事の相談をする
うちに次第に仲良くなり、
結婚に至りました。

そして、すぐに子供に
も恵まれる事が
出来たのです。

もう30歳になっていて、
なるべく早めに子供が欲しいと
思っていたので、妊娠が分かった
時には、飛び上がるほど
嬉しかったですね。

夫の事業も飛躍的に伸びたので、
同級生の女友達からは
「セレブ」と羨ましがられる様な
高級マンションに住み、
妊婦時代をのんびりと過ごしていました。

ですが、人羨む様な結婚生活は
僅か2年で崩れ去りました…。

出産後、2年位は子供の世話に
手がかかる事もあり、
オンラインドレス屋さんの仕事は
かなり抑えていたのですが、

子供を保育園に預けられる
様になると、
「私もまた仕事がしたい」
という気持ちがどんどん沸き起こ
る様になりました。

やはり自分で起業して、
育てて来たドレス屋さんだったので、
「大きくしたい」「有名にしたい」
という気持ちをずっと抑えて
子育てをして来たのです。

仕事に熱中し始める私に、
夫は

「仕事をしてくれとは
頼んでない。
こんなに恵まれているのに
何が不満なんだ!?」

と、家事や育児よりも仕事に
集中し始めた私に不満を
ぶつける様になりました。

私も私で

「結婚した時からこの仕事は
していた。絶対に仕事は辞めない!」

と一歩も譲らず…。

とうとう夫婦仲は冷戦状態になり、
何度も喧嘩が続く様になったのです。

私も冷え切った夫婦関係に疲れ果て、
心の中はいつもカラカラでした。

頭の中には「離婚」の文字しか
浮かびません…。

そして結婚3年目のある日、
夫婦喧嘩がエスカレートして
夫と揉み合いになりました。

その時、
夫の常軌を逸した
据えた様な目つきに、
いつもとは違う、
背中がゾッとする様な
恐怖を感じました。

私は

「このままだと息子を取られて
2度と会えないかもしれない」

という予感が頭の中を走り、
背中が冷たくなったのです。

私は寝室に飛び込み、
寝ている息子を
抱きすくめると、

無我夢中でそのまま家を
飛び出しました。

それから夫が謝って来た事も
ありましたが、
もう同じ生活に戻る
気持ちは私にはありませんでした。

ここから6年にも渡り、
双方が弁護士を通じて
息子の親権を巡って
離婚調停を繰り返しました。

最終的には、
離婚する事が出来ましたが、
6年という無駄な時間と
労力をお互いに使って
しまったと思います…。

今振り返ってみれば、
まだ私も夫も若く、傲慢で、
相手を立ててあげるという事が
出来ませんでした。

そのせいで、
子供はもちろん、
両親にも死ぬほど
心配をかけてしまいました。

今は子供達との時間を
大事に出来ていますし、

せめて、この時の償いに
と沢山親孝行を出来ているのは
私にとっては救いです。

36歳–
2度目の妊娠で、年下の彼に
ボロ雑巾の様に捨てられる…

2歳の息子を連れて、
夫と暮らしていた
家を出てからは、息子と二人で
小さなアパートを借りて
新たな生活を始めました。

何とかオンラインの
社交ダンスドレス屋さんを
続けていましたが、
やはり売り上げが
いい時、悪い時の波が激しく、

一人で息子を成人するまで
育てるのには不安が募る毎日
が続きました…。

そんな時、シンガポール時代の
友人からたまたま数年ぶりに
電話がかかって来たのです。

彼は現在大手のIT企業の
国際部で働いており、

「英語で出来る人材を探して
いるので、誰かいい人いたら
紹介して貰えないか?」

という内容でした。

私は彼が電話で話す内容を
聞くと、心臓がバクバクして
きました。

まさに渡りに船とは
この事だと思ったのです。

すぐさま
今の状況を彼に説明すると

「ぜひ自分を
採用してくれないか」

と彼に頼み込んだのです。

そして、その時は運良くすぐに
正社員で採用して貰う事が出来
ました。

まさに彼からの1本の電話は
私にとって蜘蛛の糸でした。

大手企業で、正社員としてら
働けるようになり、
シングルマザーでも
何とかやっていけると思いました。

そして、朝から遅くまで
会社で働く様になったので、
息子をみて貰うために実家に戻り、
母に協力して貰う事にしたのです。

贅沢は出来ませんでしたが、
なんとか不自由なく
生活する事が出来ました。

ですが、やはり

「一生一人でいるのは寂しいな…」

という思いが心の中にありました。

そして、会社員として働き
始めて5年がたったある日、

趣味で通っていたワインの
お店の店長さんと仲良くなり、
その彼と付き合うようになりました。

10歳も年下でしたが、
その時は彼は優しく、
私の事を尊重してくれる人でした。

喧嘩も全くなく、
付き合っている間は
とても仲良しでした。

そして彼も、私との将来を
考えてくれている様で、
「結婚しようね」と
言ってくれていました。

連れ子も居るし、
私のほうが年上なので

「本当かな?大丈夫なのかな?」

と思う部分はあったのですが、
彼の言葉を信じたいという気持ちが
強くありました。

ですが、ある日妊娠が発覚し
ました…。

私は一瞬迷いましたが、
もうその時は36歳だったので、

このチャンスを逃してしまったら
もう2度と次は無いだろうと、

「絶対に産みたい」

という気持ちが心の底から
強く湧き起こって来たのです。

そこで、

その事を思い切って
彼に打ち明け他のですが、
彼は急に手のひらを返し、

「結婚する約束をした覚えはない。
子供は堕ろして欲しい。」

の一点ばりでした。

「お腹に宿った子供を堕ろすなんて
絶対にしたくない!」

と思った私は、
何度も彼に

「子供のために籍だけでも入れて欲しい」

とお願いしましたが、
メールの返信は来なくなり、
電話にも出なくりました…

つわりで吐きそうになるのを我慢しながら、
雨の中、彼が勤めているお店に
押しかけた事もありました。

ですが、まったく取り付く島がなく
彼は私を蔑んだ目で一瞥すると、

「女一人で子供二人も
育てていけるんですかねぇ。」

と他人事のように吐き捨てられ、
もう何を言っても無駄なんだな、
ということを悟りました。

今でも、あの時の彼の冷めた表情を
忘れる事は出来ません。

人間、自分ひとりの都合だけで
あんなにも冷酷になれるんだと
辛く悲しい中でしみじみと思いました。

思い出すと今でも悲しくて
涙がこぼれます…

私は、彼の冷酷な態度を受け
絶望していました。

しかし、どうしても、自分のお腹の中に
宿った命の火を消すという選択は出来ず、
未婚の母になる決意をしました。

辛い道だというのはわかっていましたが、
それでも子どものためなら頑張れると
そう思ったのです。

育児休暇中に出逢った
“チャットレディ”というお仕事

未婚で二人目の子供を産むと
決意はしたものの、
会社のお給料だけでは、
二人の子供を養っていく事は
とても無理でした。

前の夫から長男の養育費も
貰っていなかったので、
子供を養うための
お金の出どころは
私しかありません。

なんとしても収入を
増やす必要がありました。

そしてなんとか
会社勤めをしながら
割りよく稼げる副業を見つけようと、

育児休暇中に必死に
ネットで副業情報を
検索しまくりました。

・英語の翻訳
・ポイントサイト
・治験
・アンケートモニター
・etc…

一通り試してみましたが、
継続的にまとまったお金に
なるものなんて
ありませんでした。

本当に切羽詰まった気持ちで
「主婦の副業バイト」
なるサイトを見ていると、
あるタイトルに目を
奪われました。

それが、

『チャットレディ
在宅で月収50万円以上可能』

というタイトルでした。

最初は、

「え、何これ?風俗??」

と、怪しんでかなり
疑ったのですが、

「男性に会わずに
時給4500円以上可能」

「パソコンの前で
お話して頂くお仕事です」

などなど、詳しく
読んでみると、

私のイメージとは
だいぶ違う仕事だと
いうことがわかってきました。

特にどこかお店に
出勤する必要はなく、

空き時間にパソコンを
前にして家でも出来る
仕事とのことでした。

「やるべきか?
やらざるべきか??」

かなり迷いましたが、
もう目の前には、

生まれたばかりの
小さな赤ちゃんが
スヤスヤ眠っています。

「この子のためにも…
とにかく行動しなければ、
お金は入って来ない!」

と、思い、決断しました。

そして、

「マダムとおしゃべり館」

という、
今でも忘れられない
独特な名前のサイトに
登録しました。

チャットレディスタートから
1年後DX Liveで
月収100万円を達成

初めてチャットレディを始めた日。

手に汗を握る気持ちで、
ドキドキしながら待機をしていると…

「ぴろろろ〜ん!」

と、男性が入室してくる音がして、
むこうからマイクでいろいろと
話しかけてくれました。

私は緊張しながらも、会員さんに
楽しんでもらえるように
一生懸命会話を続けました。

最初は何をどうして良いかもわからずに
右往左往していたのですが、次第に慣れ、
どんどんポイントが溜まるのが
楽しくなってきました。

一日3,4時間、子供が寝ている間に
ログインして出演を続けました。

そして、1か月後、
待ちに待った初めてのお給料日。

私の口座に、なんと20万円もの
お金が振り込まれていたのです。

「本当に振り込まれるのかな?
実は詐欺だったんじゃないかな?」

と、ドキドキして不安でしたが、
実際に通帳に記帳された数字を見た時、

「ああ、これで生活していける」

と感じて安心したのを覚えています。

本当にあの時は感動しました。

それからというもの、
暇さえあればチャットレディとして
出演を続けました。

やればやるほどお金に
なりましたし、
いろんな男性会員さんと
お話も出来て、

仕事であるというのを
忘れるくらい楽しく
取り組むことができました。

何をやっても続かずに、
チャレンジしては
辞めてを繰り返していた
私が初めて

安定して継続的に
収入を得続けられる
仕事に出会えたのです。

「これが私の天職なんじゃ
ないかな?」

とすら思いました。

そうしてパフォーマーとして
活動を続ける中、会員さんから、

「あそこのサイトの方が
もっと稼げるよ」

という触れ込みで、
業界最大級のライブチャット
サイトの存在を教えて
もらいました。

チャットレディをスタート
してから1年後にようやく
メインステージである、
DX Liveにたどり
着いたのです。

DXに移籍してからすぐに
月収100万円を達成する事ができ、
最初に20万円を稼いだときと
同じかそれ以上の衝撃を
受けました。

やっていることはほぼ一緒なのに、
こんなに違うものなのかと…

「貧困女性の役に立ちたい」と
ライブチャットの代理店
ビジネスを
スタート

(↑↑当時のランキング証拠画像:
Reika1015が私です。業界最大級の
ライブチャットサイトDX Liveで
出演する度にNo.1になる事が
出来るようになりました。)

DXで活動をする中で時には
待機時間が長くなったり、
話す機会が減ったりと
スランプを感じたりする時期もありましたが
心ある会員さま達に気に入って頂き、
お得意様がどんどん増えていきました。

それに伴い、少しずつランキングにも
食い込んでいけるようになり、

試行錯誤しながら、面白いアイデアを
企画して、スマホでから野外配信を
実行してみたところ、

なんと一回3〜4時間の
稼働で、20万円以上を稼げるように
なったのです。

月4回ほどの配信で、
軽く月収100万円を稼ぐ生活を
続けていました。

もちろん、ランキングは毎回
No.1になり、
会員さまからは
「野外配信の女王」とまで
呼ばれるようになりました笑

産休を終えて会社に復帰してからも、
チャットレディの仕事を続けました。

経済的には困らなくなりましたが、
不安材料は次から次へと湧いてきます。

いくらチャットレディが
稼げるからとは言っても、
必ず待機地獄と呼ばれる
スランプも定期的に
やってきます。

その時には、「もうこのまま
稼げなくなるのかも…」
と、本当に心細く、辛い
気持ちに耐えながら
チャットレディを続けなければ
なりません。

徐々に年齢を重ねていく中で、
いつまでこの仕事を続けていけるのか?

いつまで女を武器にして稼げるのか?

ということに大きな不安と
恐怖を感じるようになってきたのです。

そんな時、大阪の男友達から
急に電話がかかってきました。

「ひさびさやな!
れいか、チャットレディ
やっとったやろ?

俺も最近チャットレディの
代理店を始めたんやけど、
めっちゃ儲かるで!」

自分で出るより儲かるから
絶対やったほうがええで!」

と、まくし立てるように
早口で言われました。

そしてその瞬間、私は雷に
打たれたような
衝撃を受けました。

「その発想はなかった!
なんで今まで気づかなかったんだろう!」

と、自分でもビックリするくらい
心臓の鼓動が早くなっているのを
感じました。

実は、以前からチャットレディの
代理店経営には興味はあったのです。

稼げるようになる前の私と同じように
お金で苦しんでいる若い女性や
子連れのシングルマザーをサポートしたい、
という気持ちはありましたし、

何より自分のチャットレディとしての
経験を活かすことも出来る仕事なので、
いずれはやってみようかなーと
思っていました。

が、実際に何をどうやって良いかも
わからず、

また、代理店をやると儲かるよ!と
教えてくれる人もいなかったので、
自分の中の選択肢には無かったのです。

そんな時、彼から

「稼いでくれる女の子を集める
ノウハウは全部教えてやるから、

替わりに俺の事務所の
女の子のサポートしてくれへん?」

という提案をもらいました。

彼はどこでもかまわず声を
かけていてとにかく女の子を
集めるのが上手でした。

しかし、彼は男性ということもあり、
女の子のケアまでは気が回らずに
上手く行かない部分もあるとの
ことでした。

その点、私は女性なので同じ女性の
気持ちがわかりますし、
パフォーマーとして
活動してきていたので、具体的な演出の
アドバイスなどもできました。

「自分のパフォーマーとしての経験を
誰かにシェアしたい!

そして出来るならお金がなくて
苦しんでいる貧困女性のために
役立てたい!」

と、ずっと思っていた私は
二つ返事で代理店ビジネスを
スタートする事に決めました。

彼は、WEBマーケティングの知識と
行動力がある人だったので、
求人ホームページの作り方や、

「可愛い名刺作戦」で直接女の子を
スカウトしてくるやり方を
教えてくれました。
それに加えて、私には
現役パフォーマー
としての経験があったので、女の子の
サポートには絶対の自信がありました。

藁をも掴む思いで
いきなりチャットルームを
オープン…

最初は大阪の男友達の
代理店の女の子もサポート
していましたが、
私自身はどのように
起業したかというと、

やはり大手代理店の
フランチャイズとして
スタートしました。

その方法しか当時は
選択肢がなかったのです。

大手代理店のフランチャイズ
育成担当と初めて面接した時に
こう言われました。

「成功出来るか出来ないかは、
ルームを持つか持たないかですよ。」

私はこの時、ライブチャット代理店に
全てをかけていましたので、
わらをつかむ思いでチャットルームを
すぐにオープンしました。

3LDKのマンションを借り、
もろもろの初期投資で
100万円位かかりました

ですが、大手からの女性紹介は
初月で2人だけ…。

しかも面接の連絡を
取っているうちに一人は
音信不通になり、

もう一人は全然稼げずに
終わりました。

毎日、毎月、ガラガラの
ルームの掃除に行きながら、

「今月も来月もルームを
維持出来るだろうか・・・」

という不安で頭の中は
いっぱいでした。

そして、
空家賃を稼ぐために、
以前よりももっと自分が
チャットレディとして

稼がなければならないという
最悪の状態に陥ってしまった
のです。

「いったいどんな求人をすれば、
稼いでくれる
女の子を安定して
獲得出来るの!?」

もう私は発狂寸前でした…。

ひとりで抱える
「ルーム維持費」
赤字のストレスは
本当に辛い…

 

ガラガラのルームを
埋めるために、

ありとあらゆる
求人方法を試してみました。

 

雑誌媒体、ネット広告、スカウト…
ですが、思うようには女性は
集まらず、

ルーム維持費の月15万円は
完全に赤字でした

 

大手代理店の担当者に
電話してみても

「時期によって差が
ありますから…」

とはぐらかされた
ような返事しか
返ってきません。

「あのエリアはいいですよ!
女の子たくさん紹介出来ますよ」

とあれだけ言っていたのに…。

すでにルームを持って
しまった私にとっては
後の祭りでした。
ですが、そんな私に
ある男性の一言が
きっかけで、
人生の転機が訪れます。

ある人の一言で
「在宅のみ」
一変

そのある男性というのは、
最初に私を代理店ビジネスに
誘ってくれた大阪の
男友達でした。

やはり彼も、最初は運良く
稼げる女の子を求人出来た
ものの、

その後はなかなか稼げる
女の子が定着してくれず、

ルームの維持費、そして
メンテナスにかかる労力に
悩んでいました。

そして、その彼が、

「実際在宅で稼いでる子も
いるんだから、

いっそ在宅だけで
管理で出来たら
理想なんやけどな…。」

と、何度も呟き始めたのです。

私も確かにその通りだと
思いました。

実際、私の代理店にも、
そこまでの売り上げにはなって
いませんでしたが、在宅で
働いてくれている女性が2、3人
登録してくれていたのです。

私は自分だけが提供出来る
女の子を集める方法を
模索し始めました。

何度も試行錯誤を
繰り返していくうちに、

だんだんと私の代理店に
定着している女性の比率が
「在宅」の方が多くなって
いったのです。

今はスカイプ通話などの
TV会議ツールを使えば、
まるで目の前にいるように
話す事が出来ます。

そのため、在宅の女性を
しっかり稼げるように
指導してあげるコツさえ
掴んでしまえば、
対面で指導する必要もありません。

 

女性にとっても、
わざわざ通勤する必要もなく、
家にいながらにしてNo.1に
なるためのノウハウを指導して
貰えるのであればそちらの方
がいいに決まっています。

何よりも、通勤型よりも、
在宅型の方が貰える
お給料は2倍近くになります。

そして、
「在宅」に力を入れてから1年後・・・

私の代理店にはチャットレディが
着々と集まるようになり、
稼げるノウハウをしっかり
サポートした結果、
確実に稼いで
くれるように
なっていました!

35歳のチャットレディを
月500万円稼がせる事に
成功!!

そして、在宅型のチャットレディ
が着々と定着してくれる中、

「この子はもっともっと
稼げる!」

と思う、ダイヤモンドの原石の
ような女の子も現れるように
なりました。

そこで、
私は40代で1位になった訳
ですから、

「このノウハウを私の代理店の
もっと若い女性に教えたら
どうなるんだろう…」
と考えたのです。

もし他の人が、
私と同じように稼げたり、
私以上に稼げたなら・・・・

極めて有効な再現性が
あるノウハウであると
言うことですよね?!

そしてこのNo.1になれる
ノウハウを私の代理店に
所属している35歳の
女性に指導したところ・・・

なんと・・・

月500万円を
稼がせる事に成功したのです!

その時の証拠画像を
お見せしますね。

まさしく、再現性もある私の
このノウハウは、

まさしくアダルトチャット
業界唯一無二のものである
と自負しています。

妊娠をした事で
ボロ雑巾みたいに男に
捨てられた私でしたが、

あれから5年…。
数え切れないほどの
試行錯誤を繰り返し、

『在宅』の女性を集める方」
+
「No.1に育てる方法」
の両方のスキルを併せ持つ
業界唯一の女性オーナーに
なる事が出来たのです。

「貧困女性の救済・
悪徳代理店撲滅」の
理念に共感してくれる
代理店オーナーの育成したい

在籍している女の子等からの
紹介もあり、在宅管理だけで
稼げる女の子が徐々に
増えていきました。

代理店の運営は安定し始めましたが、
今度はまた違う問題に直面しました。

応募してくるたくさんの数の
女の子を面接する中で、
私はこの業界の

“あり得ない真実”

を耳にして、戦慄しました。

以前もお伝えしましたが、
世の中には本当に
ヒドい代理店があります。

「辞めるといったら、お給料を
払って貰えませんでした…。」

「面接では脱がなくてもいいと
言われたのに、アダルトじゃないと
稼げないからと、無理やり
脱がされました…。」

「毎日長時間ルームに出勤していたら、
オーナーが私に電話の応対から、
ルームの掃除まで押し付けてきました。」

「ルームはタバコ臭くて、
カビまで生えてました…」

「女の子と女の子の仕切りは
段ボールで避難所みたいな
作りになっていました」

「洗っていないのが丸わかりな
ベトベトしたオモチャを渡されて
これを使えと言われました…」

これらはほんの一部なのですが、
こんな事を当たり前のようにしている
代理店がたくさんあるのです。

女の子をまるで家畜のように扱い、
人として扱っていないような
悪徳代理店がこの業界には
はびこっているのです。

そして、ここで
初めてあなたに打ち明けますが、

そろそろ私はパフォーマーとしても、
ライブチャット業界からも引退します。

色んな意味で人生の転機を
迎えている感覚があり、
新しい道もすでに見えています。

なので、今後は私の出演は
減っていくと思います。

色んな代理店で働いてきた女の子や、
代理店のオーナーと話した上で、
私はかなりまっとうに代理店を
経営してきたと確信しています。

本当は世の中で困っている女性を
みんな私の代理店で預かって
働いてもらいたいと考えています。

きめ細やかなサポートも、
稼ぐための演出方法なども
色々教えてあげられることがあります。

しかし、現実的にそれは不可能です。

チャットレディとして働きたいという
希望を持った女の子が、私の代理店に
たどり着く可能性はかなり低いでしょう。

これからはさらにオンラインの
コミュニケーションが活発になります。

もっと言えば、リアルタイムの
ライブ配信などがもっと当たり前になり
誰もが見るし、出演するようになります。

そういった流れの中で、
アダルトチャット業界は必ず再び
盛り返していくことになります。

このような流れである限り、
チャットレディになりたい女の子も
代理店をやって稼ぎたい人も
増え続けていくことになります。

ろくにノウハウも知らず、人間としても
未熟なビジネスの素人が経営する代理店に
業界の右も左も知らない女の子が
入ってしまったらどうなるでしょうか?

ワガママにこき使われて、
稼げないまま心に傷を負って
去っていくことになるのは見えています。

私の引退後、悪徳代理店に捕まり、
苦しむ女の子が増えてしまわないか、
それだけが私の唯一の心残りです。

なので、私のチャットレディとしての
活動の締めくくりとして、
最高・最良の代理店経営をしてくれる人を
育ててから引退しようと思っています。

少しでもこのライブチャット業界を
良くしていってくれる人や、

そして女の子達の人生をよい良い方向へ
プロデュースしていってくれる
素敵なプロデューサーが経営する代理店が
増えていって欲しいと本気で思っています。

そして、
そのために、現在私は、
在宅ライブチャット代理店
起業講座のコンサルタントとして、

私の理念に共感してくださる方
だけに、
私が5年間かけて培ってきた
唯一無二の代理店成功ノウハウを
引き継がせて頂いています。

 

 

 

 

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